年季の入った雑多な街並みは、決して嫌いではありません。整然とした美しさを求める気持ちも確かに理解できますが、対極にあるものにも惹かれてしまう自分がいます。完璧な美に安らぎを感じつつ、その裏側にある粗さや混沌にも興味を覚える、そんな相反する感情です。

香水の世界には、その感覚に通じるものがあります。古い時代の香水は、香りに奥行きとリアリティをもたらすため、あえて少し癖のある成分を調合していました。ムスク、シベット、インドールなど、現代では合成代替が使われている伝統的な素材たちです。いずれも単体では強い主張を持ち、ときに不快とすら評価される成分ですが、微量であれば香り全体を引き立て、甘さや華やかさに深みを与えます。

それは料理における砂糖と塩の関係にも似ています。砂糖だけでは平坦な甘みですが、ほんの少し塩を加えることで味わいが立体的になり、甘さそのものが際立つ。主役を引き立てるために、脇役がわずかに癖を添える。その絶妙なバランスにこそ魅力が宿ります。

このサイトの写真も、美しいと感じる被写体を素直に撮る一方で、そこに雑多さやノイズを含ませたいと思う瞬間があります。綺麗さだけでは見えてこない“生活の匂い”や“温度”を忍ばせることで、写したいものがより鮮明に立ち上がるのではないか――そう考えています。どこまで伝わるかは分かりませんが、自分なりに美意識の陰影も写し込みたいと思っています。









今回は、その考えを胸に、新大久保から新宿までの道のりを歩いてきました。観光地として賑わう通りの華やかさの裏側には、生活感の漂う横丁や、古い看板、雑然とした路地が交錯しています。整然と整えられた商業エリアと、雑多で人間味のある街角が地続きで存在する――その対比は、まさに香水にわずかなクセを加える行為にも通じると思っています。
新大久保の異国情緒あふれる活気は、鮮やかなスパイスのように街の雰囲気を彩り、一方で新宿へ近づくほど景色は鋭角で都会的になっていく。その移り変わりは単なる距離ではなく、質感の変化として目に飛び込んでくるもので、街の表情に奥行きをもたらします。
そうした意味で、新大久保から新宿への散策は、単に都市を撮り歩く以上の体験でした。華やかさと無骨さ、清潔さと雑多さ、それぞれが互いを反射し合い、調和とは異なる魅力を生み出している。それは香水や料理における微細なクセの役割と同じで、街の本質を浮かび上がらせるための必要な“ノイズ”でもあるのだと感じます。


Leica Summaron L35mm f/3.5 の初期スクリューマウントは、一見すると主張の強いレンズではありません。開放値はf3.5、スペックだけを見れば地味に思えるかもしれません。しかし使い始めると、その評価はすぐに覆されます。古典的レンズらしい柔らかいエッジを感じます。写りは誇張されず、静かで落ち着いています。その静けさこそが Summaron の持ち味だと思います。

Summaron は、被写体を綺麗に整えるレンズではありません。むしろ、少し粗さの残る現実そのものを受け止める描写です。しかし、この不完全さが美しさを引き立てる瞬間があります。華美な解像や極端なボケの演出ではなく、等身大の街を“そのまま受け入れる”姿勢がある。そこに古典レンズの哲学を感じます。Summaron L35mm f/3.5 は、派手さを求めない人にこそ向いています。写りは控えめですが、そこには熟成された落ち着きがあり、現代レンズにはない包容力があると思います。


